おーい遊びにいこらよ

我が師清水公照先生のおそばにいて聞いた話を思い出しながら華厳の教えにふれる世界です。    華厳宗木庵説教所 田中 公童



いろは説法5「人生は旅 憂いにつけ 楽しきにつき5日の法語です。人生を旅に例えると松山への配達中、大雪に出会うような憂いもあれば道後温泉のホテルや土産店の皆様に親切にして頂いたように喜びもある。古人は双六遊びで子供の頃からそれを教えた。華厳経入法界の善財童子が53人の善知識に悟りを求めて旅をする物語から東海五十三次が双六の基になり、お江戸日本橋から京の三条大橋まで箱根の関所は一回休み大井川は振り出しに戻るとサイコロの一から六までの数が人生を変える。今ならスマホの人生ゲーム大金を当てたと思えば落とし穴にドボン、彼も今までに何回も梯子を外され窮地に陥ったことがある。でもそのことが「人間万事塞翁が馬」の如く不思議と援助され思わぬ方向に好転した。その結果東大寺を本山とする華厳宗の僧侶となり2002年からの数々の大法要に式衆として出仕させて頂きテレビのニュースにも映して頂けた。これからは木庵に来られるお客様に楽しんで頂けるように精進したいと思う日々、新しい出会いを楽しみにしております。

いろは説法4学ぶ喜び(まなぶよろこび)法語26日は「学ぶ喜び」です。昨年秋の初代東大寺別当良弁僧正1250回忌御遠忌法要では「顕無辺仏土功徳経」を唱えさせて頂きました。本山では毎月日を決めて唱えておられるが彼は初めての経験、経本(折りたたんだお経の書かれた本)持参と言われたので袂に忍ばせ準備していると上臈(位の高い僧侶)から順に巻物が配られ何故か最後の一本が彼の前に、巻いてある紐をほどき開けてみると手書きの漢字が並んでいた。絵巻物を見るように右端から内側に巻きながら左の軸を緩め広げていく。その瞬間経本にあるルビがふってないのに気が付いた、何度も練習したはずが字の読みを考えている間にどんどんお経は進む。終わって巻物を巻きなおすのだが掛け軸を下から巻き上げるようにはいかない、隣の本山の若い僧は裏側を手前に向けスルスルと巻いておられる。彼も真似てやってみる、しかし最後に紐を巻き付けその紐の端をくぐらすことが出来ないうちに回収の方が持っていかれた。嗚呼無念で後日「顕無辺仏土功徳経」を学び直してみた。平成20年の指導者講習会の資料の中にありなんでも「世尊よ、諸々の仏国土の時分荘厳に勝劣有や否や」との問いにお釈迦様が答えられるお話。我々の住む世界の一劫(432千万年)は阿弥陀様の国の一日で阿弥陀さんの一劫は袈裟幢世界の一日(432千万年) の2乗となり順に10の仏国土が繰り返され(432千万年) 10乗?となる。数学的な世界の最後は「蓮華徳世界」で諸菩薩衆、殊勝なる普賢の行地を修治す」とかいてある。そして「善男子よ、諸世界昼夜漸増するが如く、是の諸仏寿量身相の如く、菩薩世界の荘厳も亦しかり。彼の有情の福、転増する故に由るなり。」これだけではチンプンカンプンまったく理解できない、すると本山から「論集良弁僧正伝承と実像の間」という冊子が送られてきた。野呂靖先生の解説によると「光王菩薩が諸仏の国土の時分などの功徳について質問され諸仏の世界は平等であり勝劣は無いという普賢の境界であり、この経典を受持し、読踊する人はその人の願いにしたがつて浄土に生じさせる。」と解説されていた。いくつになっても「学ぶ喜び」を得られる楽しさ、彼の挑戦はつづく? ワッワッファーと龍の口

いろは説法3隨縁(ずいえん)法語15日は「縁に随い縁を追い ふとしたご縁は又しても縁に招かれてゆく」です。時は昭和55年大仏殿大修理の頃新築されたお客様から「床の間に置く香炉が欲しい」と頼まれ知り合いを通して陶器を専門とする問屋さんを訪ねた。数点の香炉をお借りしお客様に選んでいただいて残りの香炉を問屋さんに届けた時、ショウケースの中に青磁の犬の置物が飾ってあった。「誰の作ですか」と尋ねる「東大寺の管長さん」との返事、そして「今テレビのコマーシャルで灘の酒瓶に鶴の絵を描かれた方ですよ」「ああ先日落慶法要テレビで放送してましたね」思わず買ってしまったのが縁の始まり。いつしか奈良に足しげく通うこととなり弟子にしていただきました。「縁に随い縁を追い ふとしたご縁は又しても縁に招かれてゆく」本当にその通り、華厳経の教えの中に因陀羅鑼網があります。「帝釈天の宮殿を飾る網で結び目の一つ一つに付けられた宝玉が互いに姿を映し合う中でそれぞれの輝きを増していく」そして網の一方が揺れると全体に広がっていく。すべての現象はみな繋がっているとのことです。隨縁 ふとしたご縁は学校の同級生 家具組合青年部の先輩を巻き込んで華厳宗木庵説教所を設立こととなりました。1014日~16日は東大寺初代東大寺別当良弁僧正1250回忌御遠忌法要があります。式衆として出仕する彼は只今四箇法要で唱える声明「唄 散華 梵音 錫杖」の稽古中 唄は長老様が唱えられるので省略 散華はなんとか 梵音錫杖は10年ぶりかで正式に伝授してもらってないのでCDを聴きながら経本の博士と呼ばれる記号を頼りに声を出すが微妙な抑揚が難しい。多分スタンドマイクは本山の若い僧侶の前に置かれるので「口パク」でごまかそうか、それとも説教所主任としてばっちり決めようか。本番に弱い男はどうしましょ、晴天のもと大仏殿前の庭での法要無事に厳修できることを願う毎日。「てるてる坊主てる坊主ああした天気にしておくれー」

いろは説法2-2夕食後座敷のテーブルは昼のお稽古のまま午後7時頃から夜の生徒さんがやってこられる。陶芸家 和菓子職人 俳句の師匠?皆さん真剣に墨を擦り黙々と臨書に励んでおられる。ある日午後8時奈良太郎と呼ばれる釣鐘が突かれると「一筆所望」と陶芸家の先生が仕事場に掛ける横書きの依頼が彼にあった。直接お願いされたらいいのにね、お稽古のテーブルを片付け毛氈の上に画仙紙を用意、たばこを揺らがせて師は口をモグモグ「独楽」ではどうです。早速太い筆に墨を含ませ仕上げられた、画仙紙がもう一枚あったので「あんたはいらんのか」と問われるので「ぜひ」とお答えすると「一火神変」と仕事に対する心構えを教えて頂けた。「まあ茶碗も窯で焼いてみんと出来上がりはワカランしな」と言われたが最近になり「神変」とは自由自在に動くことと研修会で習い「ああ こだわらないことか」と理解した彼。そういえば「筆の進みたいように動かしてやると好い字が書ける」とも言っておられた。それを聴いておられた俳句の師匠「背筋をピント立てて筆を持つ」儂は先生にそお教わったと、まるでお釈迦様の話をお弟子の羅漢さんが代わりに言われたように、師はただニコッと微笑まれた。昔々のお話。

いろは説法2-1今回は18日の「泳ごうとすると沈み、水にまかせた時浮き上がる一本の筆を動かすコツ。」です。師の山坊では毎週木曜日は午後と夜にお習字の稽古をしておられた。本山の時役が終わる午前10時頃までに番茶の用意と大きな端渓の硯に墨を擦る、座敷に敷かれた紺色の毛氈を掃除しテーブルを並べる。帰られた師は番茶をすすり庭掃除へ、彼はまた墨を擦り続ける。昼食を頂き少し午睡、午後1時を過ぎると奈良はもとより神戸から生徒さんが来られる、各自書かれた紙を出し師が朱墨で添削される。それを彼は師の左に座り墨を擦りながら眺めている。添削の後は新しいお手本を書かれる、王義之 顔真卿 そして平仮名の和歌 生徒の皆様は周りの方と話をしながら いや師の手元を見ずにおしゃべりに花を咲かしておられる。彼は師の筆先をじっと見ていると小学校のお習字の時間に習ったトンツーテン左上から右下にトンと筆を置き右にツーと動かしテンと抑えるのとは違いトンが右から左に入り筆を立てて右に返す逆筆と呼ばれる書き方。なんでも単調になりがちな字に変化を持たせ自在に筆を運べる方法だそう。一度師にお稽古をお願いしたが「みんな私のお手本が欲しいんですよ、あんたは横に座ってみてたらよろしい。」と、また月に一度は水彩画の三田村先生がおこしになり絵の話より燕の啼き方を教えて頂いた。「土食って 虫食って口渋ーい」だそうです。そんな山坊の午後のひと時。

いろは説法1(いろはせっぽう)書斎の棚を片付けていたらオレンジ色の袋の中に日ごとの戒めが書かれたカレンダーが出てきた。「よろこんでもらうよろこび」からはじまり、31日の「自分にな」まであった。そこで今回は24日の「おかげさん 目に見えない あらゆるもの あらゆる力 あらゆるはたらき」より始めます。師によると「おかげさん」を英語に翻訳することができないと言っておられた。Thank youでもなくWith thanksでもないらしい「神のご加護の下に」under the protection of God,が近いらしいが日頃我々が使っている「おかげさんで何とか暮らしておりますわー」と挨拶代わりに使っているニアンスとは違う。そこで師は「目に見えない あらゆるもの あらゆる力 あらゆるはたらき」と付け加えられた。「目に見えない あらゆるもの」コロナ禍 目に見えぬウイルスに世界は翻弄された、「あらゆる力」世界で絶えない戦争や災害「あらゆるはたらき」先月のワールドベースクラシックの試合のようにドラマのような決勝戦。本当に予想もつかない日々、でも日本人は「おかげさんで」と楽しい時も苦しい時も乗り越えてきた。華厳経の中にすべての事象は千差萬別で有り、それぞれが縁によって生じる物事もこの世界の中に含まれている。また茶道の世界でも「和敬清寂」と目に見えないものへの感謝が表されている。そして彼は花見団子を食べながら「おかげさん」の言葉を嚙みしめている。

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